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本社拝殿
御本殿
神社内
戎神社拝殿3
第一鳥居

春日神社

南北松尾の氏神様

神紋_春日神社

御祭神

武甕槌命

(たけみかづちのみこと)

雷神であり武の神様。天照大神の命を受けて国譲りに赴き、大国主命と交渉し、平和裡に国土を統治させた勇猛な神様。

天児屋根命

(あめのこやねのみこと)

高天原で祝詞を奏上した神様。祭祀を司り、中臣氏・藤原氏の祖神として、朝廷の祭礼に深く関わった神様である。

経都主命

(ふつぬしのみこと)

武神として名高く、剣の霊力を象徴する神様。武甕槌命とともに国譲りを進め、国土平定に大きな功績を残した。

比売大神

(ひめおおかみ)

天児屋根命の妃神で共に夫婦円満の神様として信仰されている。

神紋_春日神社

由緒沿革

 往時当松尾荘(又は春木荘ともいう)藤原氏族本貫を有し武烈天皇の御宇には物部氏族が今の北松尾に本貫を有していた為に稱徳天皇神護慶雲二年(西暦七六八年)鹿島神宮常陸国より大和国に御遷座の途中、武甕槌命、天児屋根命が当地に立ち寄られ、暫く停留なされたのを機会に当荘内の藤原氏が社殿を設けて春日大明神を鎮座したのがはじめである。尚、古来には役の小角の開基による宗福寺(神宮寺)があり、空海上人が一冬を安居なされた後は、冬堂と称するようになった。

 当時より当地方最も神威顕著であったため後醍醐天皇より正一位四所明神の勅額を下賜され、松尾荘内の総氏神、産業隆昌の神としてのみならず、当地鎮護の神として早害疫災に際しては厄除疫病平癒を祈願し国守、住民の崇敬の中心神社として今日に至っている。

 但し往時の宏壮な社殿神宮寺の伽藍、金堂、宝塔、古文書、宝物など多くは天正の兵火に罹り之を失ったが、寛文十一年、享保一七年、宝暦二年、文化八年、天保十五年、明治二十六年、昭和二十九年、平成十一年、令和五年と度々立替、葺替を行った。明治四十二年八月には神饌幣帛供進社に指定され、昭和四十五年四月には御遷座千二百年祭が斎行された。また摂社に戎神社、末社に九頭神神社がある。

神紋_春日神社

境内図(大正時代)

大正境内

 これは、大正時代初期に描かれた当社境内図です。日露戦争後、町村の財政が疲弊し、その立て直しの一環として全国で神社合祀政策が当時の政府によりまして押し進められました。当社も明治41(1908)年、当時の南北松尾村の大字(現在の寺田町、箕形町、唐国町、内田町、松尾寺町、久井町、若樫町、春木川町)と国府村の二つの大字(現在の小田町、和気町)の神社が春木町の春日神社に合祀されました。

​ 境内図の右側には当時の拝殿が大きく描かれ、その上に四棟の本殿が並んでおり、向かって左から二殿目が本社の春日神社本殿で、その左が春木川の八雲神社、そして本社本殿の右となりが久井の八幡神社、そして一番右が摂社の若宮神社です。春木川、久井以外の大字のご祭神は本社本殿に合祀されていました。

 図の左には朱塗りの鳥居、垣が見え稲荷神社が祀られています。そしてその下にはお堂が見えます。これは明治時代になって廃寺となった、弘法大師が一冬お籠になられたという伝説がある冬堂宗福寺の名残の施設です。そして図の一番左には当時の冬堂橋が描かれ、木造なのが興味深いです。更に一番手前に描かれた第一鳥居、燈籠は現在の春木町交差点付近と思われ、以前は「とろば(燈籠場)」と呼ばれていたそうです。

天然記念物マキ1
御神木の槙

境内にある槙は、天正年間に織田信長による兵火を二度受けたが翌春には新芽を出したという伝説により不老・延命の御神木だといわれている。昭和四九年三月二十九日に大阪府から天然記念物に指定されている。

大阪府指定天然記念物

​槙(マキ)

当社では、あじさい苑を整備しており、約百株の様々な種類のあじさいが植えられています。六月の開花時期にご参拝の際は、是非ご見学下さい。

あじさい苑

あじさい苑
あじさい
神紋_春日神社

ギャラリー

あじさい苑2

全国からご参拝いただいております。ご質問などございましたら神社社務所までお気軽にお問い合わせください。

神紋_春日神社

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神紋_春日神社
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南海電鉄泉北線「和泉中央駅」5番のりばより、南海バス「大阪技術研前行」または「テクノステージ・和泉商工会議所行」に乗車し、「テクノステージ口」にて下車(徒歩約5分)

月極駐車場あります / 南海バス「テクノステージ口」近く / 旧南松尾中学校跡地

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〒594-1141 大阪府和泉市春木町615

TEL.0725-54-0352 / FAX.0725-54-0352

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